新年おめでとうございます

校長 児玉 純

 2025年が始まりました。それぞれのご家庭では、和やかな年末年始をお迎えになられたことと思います。今年の干支は、乙巳(きのとみ)です。「努力を重ね、物事を安定させていく」という意味合いを持つ年とされているそうです。「乙」は、しなやかに伸びる草木を表していて、困難があっても紆余曲折しながら進むことを意味します。私が以前お世話になった先生が、「事あるが人生」というお話をよくされていました。何かがあることを恐れるのではなく、主に祈りつつあらゆることを乗り越えていく一年にしていきたいと思います。今年もよろしくお願いいたします。

 「予測不可能な時代」と言われて数年が経ちます。この時代にどう対応していくべきか、子ども達をどう育てていくか、たいへん悩ましい課題を突きつけられています。しかしながら、私の若い頃、1970年代に、ハーバード大学のガルブレイス教授が、『不確実性の時代』という著書を発表し話題になりました。今から50年も前です。経験を積めば予測できて事前に対応策を考えられるという時代は、半世紀も前から壊れ始めていたということです。もちろん現代ではさらに混沌としてきて、ⅤUCA(変動、不確実、複雑、曖昧)の時代と言われています。
 様々な課題を解決するためにPDCAサイクルという手法が盛んに用いられてきました。計画と実践、評価と改善を繰り返し行う手法で、目標設定をして成果を上げるという面でたいへん有効な手段です。これは場面によっては今でも必要な考え方ですが、今はOODAループ(よく観察し、状況を判断したら決定し行動する)やPDRサイクル(行動に向けた準備をしたら実行し評価する)といった新しい手法も提案されています。変化の激しい時代に対応したスピード感のある方法だそうです。このような新しい手法は、これからの社会に生きていく子ども達にとって大切なスキルになっていくはずなので、私たち教員も研究し実践していく必要があります。
 「今まではこうだった」「こうあるべき」と古い観念にとらわれているだけでは、前に進めません。伝統や校風を守りつつ、新しい風、新しい波を敏感に感じ、立教女学院小学校として進むべき道を探りながら前に進んでいく一年にしたいと思います。

 2024年度も残すところ3ヶ月となりましたが、一年間の学習面や生活面のまとめ、学習発表会の準備、卒業関連行事の準備など、短い中にも充実した忙しい日々が続きます。そのような中、子ども達一人ひとりが充実した一年だったと振り返ることができるように、ひとつひとつの事に丁寧に取り組んでいきたいと思います。

≪ 6年生理科 国立天文台出張授業 ≫

 国立天文台の出張授業も8回目となりました。今年は矢野太平先生(JASMINEプロジェクト)をお迎えし、前半はご専門である恒星の距離をテーマにお話を伺い、後半はMitaka(4次元デジタル宇宙ビューワー)で宇宙旅行を楽しみました。
 「地球から見たとき、月と太陽のどちらが遠い?」という問いに対し、子どもたちは「太陽!」と即答しますが、矢野先生はさらに続けます。「なぜ?」「授業でそう習ったから」「先生はなぜそのことを知っているの?」「教科書に書いてあるから?」「教科書を書いた人たちはなぜ知っているの?」「研究者が調べたから……?」徐々に首を捻り出す子どもたち。「もしも今が知的文明の栄えていない世界だとしたら、月より太陽が遠いことをどうやって証明できると思う?」少し考える時間を経て、何人かが「日食があるから!」とひらめき、「確かに!」と納得の声があがりました。なぜ?という問いで当たり前に知っていた知識が揺さぶられ、理科の授業で学習した「日食」への学びがさらに深まった瞬間でした。
 後半の宇宙旅行では、誰もが良く知る北斗七星の周りをMitakaを使ってぐるっと1周しました。地球から眺めると平面上に並んでいるようにみえた7つの星は、それぞれ地球からの距離が全然違うことに気付きました。一番近い星が地球から81光年、一番遠い星が地球から123光年ですが、2ヵ所から測定したときに近いものほどよく動いて見える原理を利用し、星のふらつき具合を測定することで、恒星までの距離を調べることができるそうです。
 最後の質問タイムも大いに盛り上がり、難しいと思っていた天文学が身近に感じられたひとときとなりました。

~児童の感想より~
・天文学は単なる星の観察だけでなく、宇宙の成り立ちやその法則を教えてくれるようなもので、私たちの存在や地球の位置付けについて考えることができる時間でした。
・私が住んでいる地球は広くて大きいと思っていても惑星の中だと真ん中くらいだし、銀河系で見たらもっとちっぽけな存在で、宇宙全体で見たら消しカス程度しかないんだなと思うと、自分はたまたまこの惑星に生まれて、たまたま人間のすがたをしているだけの宇宙人なんだと思うと少し心が軽くなりました。

≪ ガーデニングワークショップ ≫

 12月14日に環境委員会でガーデニングワークショップを行いました。校舎内の観葉植物と花壇の植栽にご協力をいただいている園芸店に約150ポットのお花をご用意いただき、児童玄関の花壇に植えました。1つの花壇につき、約20ポットを植えます。
 まずは、花壇の上にポットごと置いて花壇のイメージを膨らませます。「このお花かわいい!」「このお花とこのお花の組み合わせにしようよ。」と2人1組になって考え、配置していくと、花壇がみるみるうちに華やかになっていきます。ビタミンカラーを中心にえらぶ子や、ピンク系をまとめる子など、ペアによって様々な個性が出ていました。
 準備が整ったら、ついに植える作業へ。園芸店の方にアドバイスをいただきながら、一つひとつ優しく心をこめて植えました。どの花壇もすてきに仕上がり、満足気な子どもたち。最後に園芸店の方からお花を長持ちさせるためには、水やりが何よりも大切だとお聞きしました。「明日からの水やりが楽しみだな。」「絶対に枯らさないようにしなくちゃ!」と、植物を大切にする気持ちが、より一層強くなったようでした。

~チャプレンからのメッセージ~

「光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった。」(ヨハネ1:5)

 私は昨年1月の「小学校だより第310号」に、クリスマスの街と呼ばれるベツレヘムで、クリスマスを祝う礼拝がすべて中止になったことを書きました。悲しいことに、同じことが2024年のクリスマスにも続きました。「虐殺が止まらぬまま、私たちが再びクリスマス迎えることになったことが、本当に信じられない。」福音ルーテル・クリスマス教会のムンディール・イスハーク牧師は、悲しみと怒りの入り混じった声で嘆きました。

 立教女学院の中心にいるイエス・キリストは、底なしの闇を照らすまことの光です。この光は、この世の「力」がある所には現れません。この世の力のある所に光がないことを知ることは、力で敵を滅ぼして平和を実現しようとする道を捨てることです。戦争によって実現された束の間の平和は、戦争によって、あっという間に崩れ去ります。光で闇を照らし、平和を作る道は、遠回りの道なのです。

 では私たちはどこに、まことの光を見出すのでしょうか?それは「喜び」の中にです。自分が誰かに覚えられ、気にかけてもらっている喜び。予期せぬ人から誕生日の祝福の電話がかかってきた時の喜び。共に祈り讃美を捧げる喜び。仲間と共に食卓を囲み語り合う喜び。こうした日々の何気ない喜びの中に、光が現れます。

 イエス様は、血縁も、家柄も、社会的ステータスも、経済力も、まったく違う人たちが共に集まって食卓を囲むパーティーの中に、最高の喜びを見出しました。そして彼は、神様はすべての人を巻き込む大パーティーに向かって、世界を動かしていると確信していました。

 立教女学院の教育が、闇の中に置かれた人たちに、喜びをもたらす人を生み出すものであることを祈り願いながら、新たな年の歩みを始めましょう。