土管の思い出

教頭 上川 恵

 10月に入っても気温が平年を大きく上回り、東京や名古屋、熊本など各地で観測史上最も遅い真夏日を記録しました。箱根駅伝の予選会でも、想像以上の暑さに大苦戦の学校が続出していました。さわやかな秋晴れが恋しい今日この頃です。
 先日行われた創立記念礼拝の後、小学校では「遊び場の歴史」と題し、小学校の遊び場の変遷を、資料室に保存されている貴重な写真と共に紹介しました。その一部を、保護者の皆さまにもご紹介します。

 戦後間もない頃、小学校はまだ木造校舎でした。1950年の写真には、校庭の横の芝生にブランコが写っています。その後数年かけて、ジャングルジム、雲梯、シーソー、滑り台、鉄棒といった遊具が次々に設置されていきました。1958年に校舎が鉄筋に建て替えられると、1階の1年生教室の前に、小学生専用の中庭が作られました。新たに設置された鳩の石像は1年生に大人気で、背中に乗って遊んでいました。1961年の写真には、「オーシャンウェーブ」と呼ばれていた円錐形の大型回転遊具が写っていて、卒業記念品という記録が残っています。校庭の南側、短期大学の近くに、築山と呼ばれた小さな丘がありました。築山の中央には土管が埋められていて、トンネルになっていました。1967年の写真を見ると、築山の後ろに開学を控えたピカピカの短期大学が写っています。
 私が奉職したのは、今の校舎に変わる少し前の1998年。2年間だけ昔の校舎で過ごしました。当時子どもたちの遊び場として人気があったのは、「森」と呼ばれていた坂下門付近の茂みです。今よりももっと木が多く、まさしく「森」のようでした。秘密基地を作ったり、木登りをしたり、自然の中で思い思いの遊びを展開していました。校舎の前には小さな池(ビオトープ)があり、春にはおたまじゃくしがたくさん泳いでいました。子どもたちは手を伸ばし、おたまじゃくしやカエルをつかまえて遊んでいました。池に落ちてしまう事も珍しいことではありませんでした。屋上にはドッジボールコートがあり、高学年が使っていました。
 築山が無くなった後も土管だけ設置され、人気の遊び場となっていました。土管でどのように遊ぶかというと、トンネルの中でのごっこ遊び(よく木の枝や葉、石が集められていました)、土管から土管へ飛び移る遊び、土管鬼(土管の上で行う鬼ごっこ)といった具合です。土管は、子どもが飛べるか飛べないかの微妙な距離で設置されていました。土管から土管へのジャンプができなければ、土管鬼には加わることができないので、必死で練習する姿が見られました。当時の作文や日記にも、土管が飛べた時の喜びを記した文章がいくつも残っています。そのくらい、子どもたちは土管に夢中でした。
 2000年に今の校舎が完成すると、遊び場は鉄棒だけになってしまいました。教員間で話し合い、人気の高かった土管を置こうと、今のキットキの辺りに4台の土管を設置したのですが、ブランコも滑り台も無くなった校庭は魅力が無くなってしまったようで、外で遊ぶ子どもたちが激減してしまったのです。大人が外に誘い出して大人と一緒なら遊ぶようになったのですが、子ども同士の関わりを大事に育まなくては、と会議を重ね、大型複合遊具の導入につながります。
 遊び場の変遷を通して、当時の子ども達や先生方の姿が生き生きと想像でき、今につながる歴史を知ることができました。この日の昼休みは、いつもよりキットキが賑わっていました。

芸術鑑賞会

 今年度は「打楽器の奏でる大地の鼓動」と題し、打楽器アンサンブルを鑑賞しました。その起源は有史以前に遡る、と言われるほど昔から人々の暮らしとともにあった打楽器は、楽器事典に1000を超える種類が登録されています。多様な音色を持ち、直感的で自由な演奏ができることは、打楽器の大きな魅力です。今回はマリンバ・シロフォンの鍵盤打楽器、様々な種類のドラムに加え、音楽室にあるおなじみの楽器(タンブリンやカスタネットなど)も用いて、全9曲の演奏を聴きました。「体が勝手に動いてリズムを取っていた」「メロディがなくても音楽が成立するとわかった」など、打楽器アンサンブルならではの面白さに気付くだけでなく、「楽譜はどうなっているんだろう」「指揮者がいなくてどうやってタイミングを合わせているんだろう」など新しい疑問も生まれ、よい学びのきっかけも得ることができました。演奏者の方々が、互いにアイコンタクトをとりながら楽しそうに演奏する姿を見て、改めて音楽のもつ魅力を体感する時となりました。

日記より

・「かっこいいね」とわたしが言ったら、友達も「かっこいいね」と言ってくれたので同じだなと思ってうれしかったです。
・知らない楽器がたくさんありました。中でも気に入ったのは足に挟んで首から下げて叩くジャンベという太鼓です。持ち方がちょっと面白かったです。踊りながら叩いていてやってみたいなと思いました。
・「風になりたい」を一緒に歌って、もっともっと一緒に歌いたくて終わらないで〜と思いながら歌いました。
・超絶技巧のマリンバの演奏が、2階席からよく見えました。ロボットでも演奏はできるかもしれないけれど、体の動きや表情は人間ならではだと思いました。

5・6年生 社会科見学

 6年生は国会議事堂参議院と最高裁判所を見学しました。国会議事堂見学では、参議院特別プログラムに参加し、「身体障がい者補助犬法案」の模擬法案を可決する過程を体験しました。数名の代表者が法律提案者や法案を検討する委員として発言したり、議長として参議院の議会を取り仕切ったりしました。代表でない児童は、参議院議員として押しボタン投票をして自分の意思を発信する体験をしました。実際に体験してみることで、法律をつくるための審議の流れについての理解を深めることができました。国会議事堂や最高裁判所の建物のつくりや豪華さにも感動していました。

 5年生はコカ・コーラボトラーズジャパン多摩工場とJFEスチール東日本製鉄所京浜地区を見学しました。コカ・コーラの工場では、コーラやジョージアコーヒーを、瓶やペットボトルにとても速いスピードで詰める様子を見ることができ、その勢いに感動していました。JFEスチールの工場では、「厚板」の工程を見学しました。25cm程の厚みがある1m四方の鉄の板を、1100℃に熱して57mにまで引き延ばす様子は見応えがありました。真っ赤な鉄が次第に冷え、オレンジ色になり、シルバーになっていく様子にも見とれてしまいました。

初めての運動会にわくわくどきどき!1年生!

 立教女学院小学校での初めての運動会を、胸がはち切れそうなほど楽しみにしていた1年生。
 9月、ダンスの練習が始まりました。もっと覚えたくて、「次の振り付けは?」「今のところまで、もう一回やろう!」と意欲満々の声が次々と上がりました。教室でも、「チョキバラバー♪」と自分たちで歌いながら踊り始め、その輪が瞬く間に大きくなりました。ポンポンをつけると、それまでの練習が生かされて、とても華やかにかわいらしくなりました。本番は、たくさんの声援や手拍子を送っていただき、元気に楽しく踊ることができる、幸せいっぱいな時間になりました。
 競技では、どうやったら上手に運べるかを一生懸命考えました。行きはボールが逃げないように、慎重に丁寧に運び、旗を回って戻ってくる時は、はじけるように勢いよく走ります。バトン代わりであるボールを待ち構えてキャッチする次の子どもたちの真剣な姿が、とてもほほえましかったです。

日記より

・いちばんたのしかったのは、「ボールをつないで」です。それは、ボールがとおくにころがっていってしまわないかドキドキハラハラするからです。むちゅうになりました。1いのまま、つぎのおともだちにわたせてよかったです。
・いちばんきんちょうしたのは、たんきょりそうです。1ばんになりかたかったけど、4ばんになっちゃいました。いちばんたのしかったのは「アロハッピー」です。「アロハエコモマイ」と「ハッピーソング」がわたしのだいすきなきょくになりました。