学校生活

小学校だより

2020/3/18

第256号 2020年2月28日

世の光として    教頭  吉田 太郎

 マタイによる福音書5章に「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。」という聖句があります。これは「心の貧しい人は幸いである。」から始まる黄金律、山上の説教にある「地の塩、世の光」の一節です。

 「地の塩、世の光」この塩と光について、みなさんはどのように受け止め、理解をしているでしょうか?イエスが生きた2千年前、「塩」はご存知のように食べ物の調味料や防腐剤として用いられていました。「塩」が食べ物の味付けを助けるように、自らの姿を溶かして、見えなくして、他者のために味をつける。そのように、他者を助ける生き方をすべきだとイエスは語っていたのではないでしょうか。そして、「世の光」とは、「塩」とは正反対に非常に明確な、確かな存在として自己主張をするものとして捉えられています。「地の塩、世の光」、この「塩」と「光」の果たす役割を、私たちは正反対の役割、事柄として考えがちだと思います。しかし、聖書を繰り返し、繰り返し、よく読んでいきますと、また合わせて、この時代背景を考えてみますと、この「光」とは「ともし火」であり、オリーブ油や燃料となる何かを燃やして明かりを灯すことで発する「光」であることに気がつきます。そして、その「光」は時間が経過すると、なくなってしまうもの。自らの存在や命を削って、他者を照らすためのものとしての「世の光」なのではないかと気がつくのです。もしかしたら、それは新しい視点なのかも知れません。

 私たちが立教女学院で学び、働く意味、目的を「地の塩、世の光」という聖書の言葉の前に立ちながら、自分自身に問い直してみます。それはすなわち、何が、「人々があなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」ということにつながるのか、という問いを持つことでしょう。それぞれに与えられた賜物を生かして、世の中のために、社会のために働く人、一人ひとりがサーバントリーダーとなること。これが立教女学院で学ぶ意味、そして私たち教師が教える使命だと考えます。

 「建学の精神」とは何か。英訳するならば、School MottoとかThe spirit of the foundingという言葉になるのでしょか。あえて言葉を選ぶとするならば「道を伝えて己を伝えず」という創立者ウィリアムズ主教の遺した言葉になります。
 1877年、神田明神下の一民家において開校した立教女学院が、その後、築地居留地に移転したころ、1891年、濃尾地震が起こり、震災への復興支援として親を失った孤児たち、身寄りのない幼い少女らを教会で引き取り、女学校の学生らがその世話をしたという記録が残っています。立教女学院の草創期、まさにFoundingの時代に立教女学校の教師や学生らが、教える者、学ぶ者でありながら、同時に、奉仕する人として生きました。こういった教育の実践から米国人宣教師が本国へ送る報告書簡の中で、Girl’s schoolという通称名が、いつの間にかSt. Margaret’s schoolと表記されるように校名が定まっていったのでした。孤児たちのために奉仕する女学生らの姿から、スコットランドのマーガレット王妃を想起した人がいたからなのかも知れないと想像します。

 立教女学院には草創期より、常に奉仕する者としての教育の実践を続けてきた人や歴史、伝統があります。話し合いや対話、コンセンサスを重視する意思決定は聖公会の伝統でもあります。時代の変遷によって苦難や混乱の中にあるとしても、神の前に正直であり、誠意をもって奉仕すること、下支えすることができる「地の塩、世の光」として、自らすすんで社会の中で奉仕する人としてのリーダーシップを発揮する、輝かすことができる立教女学院でありますよう祈ります。

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《3年生特集》
総合 大豆を育てよう ~お豆腐&おからマアム作り~
 1月30日、総合の学習で育てた大豆を使って、お豆腐&おからマアム作りをしました。一学期から二学期にかけて一生懸命育ててきた大豆でしたが、実際に収穫できたのはほんのわずか……。作物を育てるのはなかなか難しいことを実感しました。それでも、「お豆腐作りは必ず成功させよう!」と、みんな張り切って取り組みました。
 いざ!お豆腐作り開始。前日から水につけておいた大豆をみてみると……「すごーい!大きくなってる!!」水をたくさん吸収して、ぷっくりまん丸に膨らんでいます。その大豆をミキサーにかけ、お湯の入ったお鍋で温め、搾ると、豆乳とおからができます。そして、豆乳をもう一度お鍋で温め、80℃になったらにがりを入れ、10分ほど待つと……「固まってるー!」できたかたまりを型に流し入れ、無事、どのグループもお豆腐作りに成功することができました。その後、残ったおからを使って、おからマアムも作りました。
 いよいよ、みんなが楽しみにしていた試食タイム。「フワフワしてて美味しい!」「お家でも作ってみたい!」と、みんなとっても嬉しそうに、美味しくいただきました。自分たちで一から育てた大豆で作った、お豆腐とおからマアム。何一つ無駄なく作り、食べることができたと思います。今回の総合学習を通じて感じた、食べ物のありがたさや大切さを、これからも深めていってほしいと思います。(3年 吉村)


ミニドッジボール大会
 2月7日(金)6時間目に、3年生のミニドッジボール交流戦が行われました。各クラス赤・白の2チームに分かれて、4試合行いました。これは、4年生から始まるドッジボール大会へ向けての練習のための試合です。クラス内で試合をする時よりも、子どもたち同士が、「どうしたら勝てるのかな?」とチームで真剣に話し合い、一人ひとりが自ら考えて試合に臨んでいました。
 草苅先生が、試合の最後のお話で「ノーバウンドで、ボールをキャッチ出来た子は、何人いますか?」と聞いたところ、各クラス5人ずつしかいませんでした。つまりバウンドボールをキャッチするか、逃げているだけの子どもたちが多いということになります。来年から参加するドッジボール大会へむけての課題は、やはり、ボールを投げたりとったりという基本的なことが、もっとできるようにならないといけないことだとわかりました。勉強でも、運動でも、すぐにできるようになるわけではありません。毎日少しずつ、ボールを触って練習し、積み重ねる事がとても大切です。寒い毎日が続きますが、20分休みや昼休みに、ボールや縄跳びをして、たくさん身体を動かしてほしいと思います。(体育科 山﨑)

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≪6年保健 命の授業≫
 3年前まで本学院のチャプレンをなさっていた上田亜樹子司祭がいらっしゃり、約4年ぶりに「いのち」について考える授業をして下さいました。礼拝堂の真ん中でお祈りをしていた小学生が、もうすぐ卒業を迎えるほど成長していることに感激されていました。上田先生が始めに紹介されたのが『エリカ 奇跡のいのち』という絵本です。ユダヤ人の赤ちゃんであったエリカを、強制収容所に向かう貨車の中から、そのいのちを護りたくて母親が貨車の外へ放り投げます。母自身は「死」に向かいながら、娘エリカを「生」に向かって投げることで、また危険を冒しユダヤ人の赤ちゃんをひきとってくれた人のおかげで、エリカは成長します。その後エリカは、家族をもち再び家族の樹の根をはり、今もかけがえのないいのちが輝いている……という命の重みを感じるお話でした。後半は、黙想をし、自分の心の中で旅に出かけました。ほとんどの人が図書室の絨毯の上で寝転んでおり、一見この集団は何?と心配になりましたが、終わった後は「スッキリした」「体がポカポカになった」「心が落ち着いた」「悩んでいること、嫌なことを忘れられるくらい楽になった」それぞれが自分の体や心、命と向き合い、当たり前だと思っているいのちを感じる時間となりました。(保健 渡辺)

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≪バドミントンクラブ 交流試合≫
 2月15日、バドミントンクラブは東洋英和女学院小学部との交流練習と試合を行いました。交流の目的には、技術の向上だけでなく、よりよい仲間づくりのためのコミュニケーションの仕方も学んでほしい、という思いがありました。
 本校の4~6年生を交えた総勢31名での交流練習。初対面の人と話のきっかけが持てず、最初は自校のメンバーでかたまっていましたが、開始20分、練習の仕切りが女学院側に回ってきました。普段のクラブ活動の時のように6年生は前に出て自作の練習メニューを説明し、ネットを挟んで初対面の人とのラリーが始まりました。しかし、初めて会う人とラリーを続けることは簡単ではありません。長く続けるために必要なのはコミュニケーションをとること。必要に迫られた児童たちは次第に、「ごめん、前に飛ばしちゃった」「ありがとう」「そちらからサーブどうぞ」といった声を出し始めました。交流練習の後はダブルスの試合。試合でほぐれてきた緊張感が再び程よく漂う中、どのペアも互いのプレーを見ながら戦略を立てていました。
 最後に先生ペアも入って交流試合。他校のペアに自分で試合を申し込むこと、という条件の中、積極的に「一緒にやろう」と誘い合っていました。その場で「あだ名」をつけて呼び合ったり、その日が誕生日の児童を、両校の児童がハッピーバースデーを歌ってお祝いしたりと、学校の枠を越えて仲が深まる場面をたくさん見ることができた一日でした。(吉川)

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《色鉛筆》
「アールブリュット」
 アールブリュットという言葉をご存じだろうか。アウトサイダーアートと言い換えると、聞いたことがある方もいるかもしれない。アールブリュットはフランス語で、「生の芸術」という意味だ。簡単に言うと、芸術の教育を受けていない人が、自分の思うままに作った作品のことである。日本では、映画やドラマにもなっている山下清のちぎり絵作品が代表的だ。
 世界的に有名なアールブリュットの作家に、アメリカのヘンリー・ダーガーがいる。彼は病院の清掃員として慎ましく暮らし、誰に見せるわけでもなく、生涯に渡って「非現実の王国で」という1万5千ページの小説と挿絵から成る作品を生み出し続けた。膨大な量の作品は、なんと亡くなってから発見されたのである。彼の情熱と切実さには驚くばかりである。私自身、日本で行われた展覧会へ行き、感銘を受けた。作品一つ一つが可愛らしく魅力的で、作者の愛が伝わってくる。芸術とは本来、こういった純粋な動機から生み出されるべきではと思う。しかし、決して真似できるものではない。子どもたちの作品は、「アールブリュット」の純粋さに似ている。絵が下手とか、不器用だからと創作することを避けていては勿体ない。何かを生み出したいという純粋な気持ちが、人の心を掴むということをぜひ覚えていてほしいと願う。 (図工科 富永まり恵)

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