学校生活

小学校だより

2019/10/30

第249号 2019年9月4日

たいせつな「いま」を    教頭  吉田 太郎

 長かった夏休みが終わり、本日から新学期が始まります。皆さまはどんな夏を過ごされましたか。しばらくは、まだまだ暑い日が続きそうですが、秋はスポーツや勉強、芸術といった分野においてもじっくりと取り組むことができる良い季節です。芸術の秋にちなんで今号は美術のお話から一つ。
 この夏、東京ステーションギャラリーで行われた「メスキータ展」(6/29〜8/18)を鑑賞しました。まず、「メスキータって誰?」というのがこの展覧会のキャッチコピーでした。メスキータ(Samuel Jessurun de Mesquita1868~1944)とはポルトガル系ユダヤ人の画家、美術家で主に版画作品の製作や美術学校の講師として活躍した芸術家です。だまし絵で有名なM.Cエッシャーがメスキータから大きな影響を受けたということで脚光をあびることになったようです。
 今回の展覧会は日本初の回顧展であり、版画や油彩、水彩など約240点の作品を紹介するものでした。驚かされたのは、これらの作品は全て個人の収集家によるコレクションであるということです。第二次世界大戦の最中、ユダヤ人であったメスキータは1944年にナチスによって拘束され、アウシュビッツで処刑され最期を遂げています。アトリエに残された作品は、エッシャーら何人かの弟子たちによって、命がけで運び出され、保管され、こうして作品展が開催され日の目を見ることとなりました。

 メスキータの作品の最大の魅力は白と黒で表現される木版画です。初期の作品には自画像や息子ヤープを描くものが多いのですが、自身が年齢とともに老いていく、あるいは息子の成長を追いながら、その変化を作品として残していったものが数多く見られました。中でも印象的だったのは、1926年の「メメント・モリ」(頭蓋骨と自画像)という作品です。頭蓋骨とメスキータが向き合うように描かれた構図。「メメント・モリ(死を忘れるなかれ)」というテーマは、ヨーロッパでは古くから「死」を通して「生」を考え、よりよく生きようとすることにつながるもの、として好まれるモチーフですが、私はこの絵に描かれたメスキータの自画像が、生きようとすることを前向きに捉えるのではなく、死を受け入れ、諦めているようにも、達観しているようにも見える、そんな印象を受けました。まるで、アウシュビッツでの最期を予感するような、そんな哀しげな表情に映ったのでした。
 メスキータが生きた時代は二度の世界大戦の最中。常に死と隣り合わせだったことでしょう。ナチスの台頭、戦争の混乱の中でも表現することに妥協しない芸術家としての姿勢がエッシャーらに大きな影響を与え、現代のグラフィックアートにも通じる作品として評価されたのでしょう。

 「メメント・モリ」ラテン語で表される不思議な語感。「死を忘れるなかれ」という言葉。人生に最終到着駅があるからこそ、現在地の自分を改めて見つめることができる。少々、話が大げさになってしまいましたが、終わりがあるからこそ、「いま」のこの時が大切であるということを覚えたいと思います。親として子どもと関わることのできる「いま」。教師として子どもたちと学び合うことのできる「いま」。神さまに愛される存在として共に育まれる「いま」。芸術の秋の夜長にお子さんと「いま」について語り合ってみてはいかがでしょうか。

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≪オーストラリア国際交流プログラム2019≫
 8月24日~9月2日、今回で2回目となるオーストラリア・ニューサウスウェールズ州バリナでの国際交流プログラムが実施されました。主な目的は「異文化への理解を深めること」、「お互いの文化を尊重し合うよい友人関係を築くこと」です。6年生の希望者12名が参加して、10日間、EAC(Emmanuel Anglican College)での現地校体験、ホームステイ体験を行いました。6月中旬から始まった2019年度の経緯をご報告します。(杉本)

【事前学習】
 参加メンバーは、放課後を利用して3回の事前学習を実施しました。目的は、チームビルディング・プログラムの目的共有・生活のための会話学習・EACでのパフォーマンス準備です。また、滞在中2度ある日曜日には現地の礼拝と聖餐式に出席するため、事前体験として聖公会・聖オルバン教会(港区)での礼拝にご家族も一緒に参加していただきました。オーストラリアでの短い滞在をより有意義なものにするため、皆が積極的に課題に取り組み、自覚と期待を高めて出発に備えることができました。

【EACでの授業体験】
 滞在期間中の平日(月〜金)は、EACの子どもとして学校生活を送りました。12名の参加者達は、3・4人ずつに分かれて5年生と6年生のクラスに入り、スクールバディと一緒に授業に参加しました。算数やプログラミング、体育や宗教(Religion and Value Education)など、現地の児童と同じ時間割で一日の学校生活を送る体験をしました。授業によっては内容が難しく、戸惑うこともあったようですが「分からない単語を何度も丁寧に答えてくれて、自然に“Thank you”と何度も言っていました。」「言葉がわからなくてもやり取りで分かるんだ、と発見しました。」との感想の通り、コミュニケーションを通じて理解する面白さを知ることができました。小学生の同世代の子ども達らしく、学校生活が進むうちにみるみる距離を縮めて親しくなり、休み時間にスポーツを楽しんだりおしゃべりをしたり、現地の子と一緒になって、歩きながら丸リンゴをかじったり、芝生に座ってスナックを食べたり。あっという間にのびのびと居心地良さそうに過ごしている姿は、子どもの順応性の高さを改めて感じさせるものでした。
 最終日には、私たちとEACの小学生全員で礼拝を捧げました。お互いの学校での学びが神様に祝福されたものでありますようにと祈りを交わすことができ、素晴らしい時間を共有できました。クラスメイトとのお別れでは、たくさん写真を撮り、メールアドレスを交換し、最後は涙を浮かべてハグを交わし……。充実した学校生活を過ごすことができ、EACの子ども達、先生方、スタッフの皆様への感謝は尽きません。

【ホームステイ体験】
 バリナ滞在の8日間は、全てホストファミリーのお宅でのホームステイを経験しました。大らかで優しく、のどかな雰囲気の町に暮らしている皆さんは、どの方も本当に親切に私たちを受け入れてくださいました。放課後にビーチに出かけたり釣りをしたり、たくさんのお肉やソーセージを焼くBBQをいただいたりと、オーストラリアならではの暮らし方を楽しむことができたようです。ファミリーの子ども達とも仲良くなり、最終日には小さい妹にずっとしがみつかれてお別れに時間がかかっていたり、大きなマザーにぎゅーっとハグされたまま涙をこらえていたり。オーストラリアに「家族」ができたという大きな宝物をいただいて「帰りたくないな」という思いとともに帰国の飛行機に乗ることができました。
 10日間、日本の家族から離れてオーストラリアでの学校生活を送るという大きな挑戦が、今後誰かの役に立つための経験として生かされますように、また今回のプログラムを支えてくださった全ての方に神様のお恵みがありますようにとお祈りしています。

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≪子犬たちの旅立ち≫
6月に生まれた8頭のあかちゃん。今回で3度目の出産となりました。
子犬たちは箱に入ってすべてのクラスを周り、子どもたちと触れ合うことができました。一年生の生活科の授業では、お腹にいる時の超音波映像から、誕生後数週間の子犬たちの成長の様子を観察することができました。
 すくすく育った子犬たちはお盆休み明けの8月17日に無事に巣立って行きました。300g前後で生まれた赤ちゃんが2ヶ月で約5kg超と成長。子犬をしっかりと育てなければならない責任と日々の飼育の重労働から解放された安堵感で、クレアも私たちも寂しさを感じる余裕もありませんでした(笑)。ご協力いただいた皆様にこの場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。近い将来、クレアのあかちゃんたちが立派なアイメイト犬として利用者の方とともに子どもたちと再会できる日を楽しみにしています。(吉田)

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≪聖歌隊キャンプ報告 8/198/20
 「子どもたちがそばにまいりますので、一緒に歌を歌ったり、お話したりさせてください。」上川先生が言うと、時には手をたたいて一緒に口ずさみ、時には目をつぶってじっと聴いてくださっていたお年寄りのところに、聖歌隊の子どもたちが入っていきます。ここは群馬県榛名にある新生会。前日、軽井沢のみすず山荘に1泊し、どんな方々がいらっしゃるかな、私たちの歌を聴いてくださるかな、去年お会いした人にまた会えるかな……いろいろな思いを持って、歌と笑顔を届けに行きました。「こんにちは」一人ずつ同じ目線になるようにしゃがんで自己紹介をすると、それぞれのところで笑顔やおしゃべりがはずみ始めます。そして、手を握ったまま口をそろえて「ふるさと」を歌う時、新生会の方々も聖歌隊の子どもたちも一層表情がやさしく豊かになり、歌の力はすごい、人と人のふれあいの力はすばらしい、と感じました。
 孫のことを思い出してハグしてくれた、「がんばってね」とメモしてくれてうれしかった、去年と同じ人に会え、私のことを覚えていてくれた、おじいさんが何度もありがとうと言ってくれた……そんな思いを子どもたちにくださった新生会の方々から、たくさんの奇跡をいただいた聖歌隊キャンプでした。(渡辺)

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≪色鉛筆
 “3776”という数は、大きな数か小さな数か。以前の私なら、億や兆という位があるのだから、小さな数だと言っただろう。しかしこれが、標高なら話は別である。
 私はこの夏、日帰りで富士山に登頂した。予行演習と称して3つの山に登り、富士山登頂への準備は万端、のはずだった。しかし、現実は風速20m近い向かい風、靄がかかり5m先も見通せない視界、山頂まで続く砂利道に足をとられないよう進んだ。一歩一歩踏みしめる余裕などなく、何度も足を止めては、下山をしたら楽になるという誘惑が頭をよぎる。それでも日本の最高峰からの景色を目に焼き付けたいという意地で登りきった。山頂から見下ろす周辺の山々や河口湖、街の風景はミニチュアのようでかわいらしかった。空はいつもより近く、私が高所恐怖症でなかったらジャンプをして手が届くようなところに雲があった。道中挫けそうになる自分に勝ち、登りきったご褒美だと思った。
 日本の象徴でもある富士山は、私にとって自分自身を飛び越えるための跳び箱のようなものだった。私はこれからも山に登り続け、自分と向き合い続ける。(渡部 彰太)

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