学校生活

小学校だより

2019/11/29

第251号 2019年10月30日

神の国と神の義を    教頭 吉田 太郎

 『こども六法』(弘文堂、山崎聡一郎著)という本が異例のベストセラーとなっています。高学年向けに書かれた法律解説書なのですが、筆者自身のいじめ体験を踏まえて「法律を知っていれば自分で自分の身を守れたかも」という思いから、分かりやすく丁寧に書かれた本です。

 近年、日本社会の抱える問題の一つは道徳心、モラルの低下だと言われ、新しい学習指導要領の改訂では「道徳」が教科として正式に組み込まれました。そんな中でも創立以来、立教女学院小学校では「道徳」に代わって「聖書(宗教)」が代替するとして、キリスト教を価値の主軸に据えた教育を続けています。実際にはまだまだ足りない事ばかりですが、確かに、私たちの教職員集団は多忙な日々の仕事にも、「子どもたちのために」という視点ともう一つ、「神さまに喜ばれる働き」であるかどうかを常に意識しようと努力しています。さて、文科省が「道徳」を殊更に重視する背景には何があるか、道徳教育導入の推進論者が書いた『誰が「道徳」を殺すのか』(新潮新書、森口朗)の中に、興味深い分析がありました。要約すると、以下のような主張となっています。

〜現代社会の最大の厄介は、終戦直後の混乱期に教育を受けた世代の指導者がいまだに会社や組織の中で踏ん反り返っていることでしょう。彼らの多くが、新しい価値や創造性といったものよりも、自らの経験値のみに依拠した振る舞いに終始しています。驚くべきことに、犯罪検挙率が他の世代に比べて高いという統計もモラル教育の欠如を示しているのです。〜

 もちろん、70歳を超えた方々の中にも、経験豊かで素晴らしい人格者はたくさんいらっしゃり、社会の中で活躍し続ける、愛すべき先達を私たちは知っています。しかし、終戦直後の学校では軍隊帰りの教員や軍国主義の影響が残る中で、指導という名の暴力が正当化されていましたし、戦後しばらく(少なくとも昭和50年代まで)は、テレビドラマでも熱血教師が不良生徒に愛の鞭という鉄槌をお見舞いし、その教師の握った拳には涙が落ちる。そんなシーンが美談となるような社会でした。残念ながら、体罰や暴力を肯定する、誤った教育観のもとで多くの子どもたちが学んでいたということは事実です。
 昨今、騒がれているスポーツ団体や政治家、学校における暴言や失言、または暴力といったハラスメント問題の根底には、決まってモラルや人権感覚の鈍い、昭和の高度経済成長期を支えた自負と、そのやり方をいつまでも信じて疑わず、変える気がない、変わることのできない悲しい人たちが登場します。時代は昭和から平成、令和となったけれど、彼らの時代錯誤のオールドスタイルは決まって「昭和っぽいね」と囁かれています。平成の30年間はいったいどこへ行ってしまったんだろうと不思議になります。現代社会は5年、10年というスパンで大きく変化していくのだから、我々40代の昭和生まれ世代も30年後に「老害だ!」などと、今の子どもたちに言われないよう、自戒せねばと思います。

 『こども六法』には、刑法の解説に「その一言が罪になる!」という項目があります。「あいつキモイよな。」「ウザイよね!」という会話、これは刑法231条では「侮辱罪」となりうるし、バカやアホなどの曖昧な言葉でも罪になることもあるんだよ。と解説しています。また、「脅して何かをさせたらダメ!」では、刑法223条の強要罪について、いのち、体、自由、名誉、財産などに害を与えると言って、無理やり何かをさせようとする、あるいは邪魔をすることも犯罪である、と。これらはあくまでも一例ですが、改めて子どもだけでなく、大人も「法」「人権」ということを学び直す必要があるのだと感じました。
 日本国憲法は「基本的人権の尊重」について、侵すことのできない永久の権利として受け継がれていくものだと規定しています。そして、キリスト教主義学校としての見解は、人間の世界の法の上に、あるいはそれを超えたところに「聖書」に示された神の国の価値があります。ゆえに、神さまが愛された人間の持つ権利、人権を蔑ろにする社会を神さまは義とはされない。そのことを私たちはしっかりと守っていきたいと願っています。

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《3年生社会科 スーパーマーケット見学》
 10月15日(火)、社会科の学習で三鷹台駅のすぐ側にあるオダキューOXに見学に行きました。私たちの生活の中で「働く人」にはどんな人がいるのか、また、その人はどんな仕事をしているのか、まずは一番身近なお店である「スーパーマーケット」に行くことになりました。売り場の見学や、普段なかなか入ることのできないバックヤードも見せていただきました。スーパーはお家の方とよく行く場所ですが、いつもとは違う視点での見学はとっても新鮮。「商品の棚に鏡がある!」「どうしてテレビにお料理の作り方が流れているのだろう?」と、お店の色々な工夫に気がつきました。バックヤードでは、冷凍庫や冷蔵庫にも入らせていただきました。冷凍庫の中の気温は、なんと-23℃!寒い部屋の中でお仕事をしている方は、手が凍らないように軍手をしていました。子どもたちにとってスーパーは身近な場所ですが、「働く人」の立場に立って考えると、新たな発見がたくさんあり、良い学びとなりました。たくさんの仕事がある中で、「働く人」がどのような思いをもって仕事をしているのか、これからの学習でさらに深めていきたいと思います。(3年 吉村)

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≪運動会を終えて≫
 今年は雨に悩まされました。都内の幼稚園、学校でも延期、短縮開催が相次いだと聞いています。本校も、予備日での開催、ギリギリまで悩んだ末の体育館実施となりました。出来なくなってしまった競技もありますが、子どもたちはそれぞれの思いを持って運動会を終えることができたようです。保護者の皆さまには、様々な変更に柔軟に対応していただき、感謝申し上げます。

~日記より~
●つぎはわたしたちのきょうぎ、でかパンきょうそう。ドキドキしたけれど、みんながはく手でむかえてくれたから、きあいが入った。けっかはざんねんだったけど、白と黄色組をはく手して、(おめでとう)と心の中で言っていると、くやしいけど、つぎはがんばるぞ!というきもちがわいてきた。(2年生)
●ダンスはれんしゅうの時よりたくさんのおきゃくさんが見ていて、とってもはずかしくて大じょうぶかなと思いました。みんながいっぱいのはく手をおくってくれてがんばる気もちがどんどんふえていって、え顔でできました。一番気に入ったのは、はたたいそうです。「ヒュー」と音がしていいなと思いました。(2年生)
●わたしはこの日をずっと楽しみにしていたけれど、ざんねんながら雨でした。てるてるぼうずをかざったのに、とてもざんねんでした。でも中高の体育館をかりてダンスときょうぎができました。ダンスはだいせいこうでした。(3年生)
●応援をしすぎてのどが痛くなりました。(あれ?でもこんなにのどが痛くなるほど大声を出したことがあったっけ?)と、心の中で思いました。私は前まで大声を出すと注目されると思ってあまり大声を出しませんでした。初めて大声が出せたことをうれしく思います。(4年生)
●全ての競技が終わって結果発表となりました。「赤組47点、白組47点」「同点です」というアナウンスに「ウワ~!」と歓声があがり、みんなおどろいた顔をしています。本番は勝ちたかったけれど、赤も白もおたがいに一生けん命練習していたので、同点でも良かったのかな、と思います。来年は優勝だ。(5年生)
●結果は同点。赤組も白組も諦めず「最後までやりきった」からこそ、相手とたたえ合えるよい結果に繋がったのだと思う。「最後までやりきる」。これは、この運動会で達成したい学級目標だった。みんな一人一人、チームで頑張ったからこそ達成できたと思った。(6年生)

 

 

 

 


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≪芸術鑑賞会≫
 今年は、影絵劇団「かしの樹」をお招きし、木村裕一さんの本「あらしのよるに」を上演していただきました。表情豊かな影絵の動きと、技術を駆使した光や映像、たった一人による見事な語り……「かしの樹」の影絵ワールドにすっかり引き込まれていきました。
 どのような分野であっても、その道を極めた方々と出会うことは、子どもたちの興味関心を大いに刺激します。今回の公演も、子どもたちに大きな夢と感動を与えてくれました。6年間で様々な芸術に触れ、豊な心を育んで欲しいと願っています。(音楽科 上川)

~日記より~
●さいきんわたしも、おともだちをたすけました。ガブくんみたいにもうちょっとつよくたすけてみたいです。(1年)
●こわかったけれど、さいごはこころあたたまるおはなしでした。わたしがおとなになったら、「あらしのよるに」のようにこころあたたまる本をかきたいです。(1年)
●うらで影絵を動かしている人のテクニックがすごくて、白黒映画を見ているようでした。語り手のお姉さんもとてもうまくて、まるで何人もの人が会話をしているように聞こえて、たまに一人かどうか確認してしまいました。(5年)

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《色鉛筆》
石垣フグは食べられる
 息子と友人と伊豆大島に行った際、島在住の友人が石垣フグなるものを釣ってきた。半信半疑。「毒に当たったら死んでしまうかも?!息子に食べさせてよいものか?大体ここは伊豆大島なのだから、石垣と名前のつくフグは存在しないのでは?」などと考えているうちにフグの鎧のような皮は服を脱ぐように剥かれ、綺麗な白身が出ていた。友人の粋な包丁さばきに感動しつつも、こっそりとインターネットで本当に食べられるのか裏付けをとっていた。おそらく一緒に行った友人も隠れて検索していたであろう。街のはずれにあるキャンプ場で調理していたため、朝ごはん用のクラムチャウダースープの素で煮ることにした。味見で毒に当たってしまうかもしれないという恐怖よりも、興味が勝ちスープをすすってみる。なんとも美味!これこそ石垣フグ!友人を疑い毒を持っていないフグか調べ、味見したら最高~!と揺れ動いていた私の心を知らない息子は、隣で調理していた家族といつの間にか仲良くなりカレーをご馳走になっていた。完成した石垣フグのクラムチャウダースープは、息子が食べ出したら止まらず彼の胃の中にすっぽり収まった…。石垣フグは食べられる。※無毒でもフグ調理師免許を持つ人でないと調理不可。(図工科 唐鎌)

2019/10/30

第250号 2019年9月30日

平尾誠二氏のこと    校長  佐野 新生

 中高の体育祭も無事に行われ、次は小学校の運動会です。日中の日差しはまだ強烈ですが、今週からはグラウンドでの練習に子どもたちも教員も精一杯取り組みます。天候に恵まれるとありがたいのですが、どうなることかと思っています。

 日本初の開催となったラグビーワールドカップ、9月20日から全国各地で熱戦が繰り広げられています。日本チームが初戦のロシア戦に続き、ワールドカップ主催団体の本拠地でもあり世界ランク2位のアイルランドにも勝利してしまうという大金星を挙げた日本代表チームに世界的な注目が集まっています。「日本が優勝しますよ。」と日本代表の誰もがインタビューに答える様子に、強烈な自信とその裏付けである厳しい鍛錬には敬意を感じながらも、それは実際とても無理だろう、と大半の人々が考えていたであろうだけに、アイルランド戦での互角以上の戦いぶりには大いに驚かされ、先入観を修正させられたことでしょう。ラグビーの代表戦の出場には日本国籍を有していることが絶対条件ではなく、外国籍であっても出生地が当該国、両親および祖父母のうち一人が当該国、当該国で3年以上継続して生活している、といった条件を満たせば代表選手として認められるため、個性豊かな選手たちがそれぞれの持ち味と自由な発想を生かして、多彩な攻撃と守備を次々に繰り広げるチームに成長しています。「自分たちが勝つことを信じて準備を重ねてきた。」と語る日本代表の今後の活躍が楽しみです。

 思い出されるのが、ミスター・ラグビーと呼ばれ、3年前の10月に53才で逝去した平尾誠二氏のことです。伏見工業高校ラグビー部を率いて高校日本一に導いた後、同志社大学ラグビー部では1年生からチームの司令塔役を任され、史上初の大学選手権3連覇を達成、19才で日本代表に選出されます。しかし卒業後はすぐには社会人ラグビーの道には進まず、アンティーク家具を学びにロンドンに留学しますが、ラグビーの情熱は失われず、ロンドン郊外の名門クラブチームに加入したところ、様々な年齢、経験、職業を持ったメンバーが、自分たちの生活、自分たちの人生をより豊かにするためにラグビーというスポーツを楽しんでいる姿に接します。いい選手はどこのポジションもできて当たり前、というイギリスでの体験を得て神戸製鋼のキャプテンに就任し、それぞれのポジションの役割を固定せず、選手個人が主体的に判断し、柔軟に攻め方守り方を考える、チームメイトがそれを感じ取ってチームとして臨機応変に動いていく、というチームを目指して大改革を行い、日本選手権で7連覇という偉業を達成します。その後は日本代表監督にも就任し、第一回のラグビーワールドカップへの参加を実現した傑出した存在です。「強いチームというのは、指示された通りに動くだけではなく、イマジネーションを膨らませて、それぞれの状況に応じて何をすればいいかを考え出せるチームである。」「ルールづくりも大事だが、本当は一人ひとりのモラールが少し上がればチームはものすごくよくなる。決め事がたくさんあるチームは、本当はあまりレベルの高いチームではない。」「忍耐力を養うならば、スポーツをするより冬の滝に打たれた方がよっぽど短時間で効果が上がる。それなのになぜスポーツをするかというと、スポーツは楽しい、面白いものだからだ。」等々の言葉は、心に響きました。私たちの学校でも、子どもたちも教員も一人ひとりが皆のことを考えて意欲的に取り組み、周りの人と呼応し合って、楽しい運動会、楽しい学校生活を実現していきたいものだと考えています。

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≪スタディツアー5年生 茨城県金砂郷 5B・9/10~11  5A・9/1112
 台風の影響もあり天候が心配されましたが、暑いくらいの晴天の下で収穫ができました。春に植えたときは膝よりももっと下にあった稲は、腰よりも高く伸び、たくさんのお米をつけた稲穂は、重みでお辞儀をしているように垂れていました。ここまで夏の間、大切にお米を育ててくださった金砂の方々に感謝しつつ、いよいよ収穫です。束にしてキュッと結んだ稲は、天日干しをして乾燥させるために、更に「おだがけ」という作業をします。全員が一生懸命に、笑顔で作業に没頭する姿には、大きな成長を感じました。スタディツアーは、子どもたちがチャレンジしたり、主体的に活動したりする上で絶好の環境なのです。“お米を1から育て、収穫し、自分で食べる”。この経験はただ楽しかった思い出だけでなく、食や産業に対する新たな問題意識を産み、次の学びへの重要な足かけとなっていくでしょう。(5年 堀口)
~日記より~
・田んぼに着くと、一面がきつね色でとてもきれいだった。いよいよ収かく!根もとを持って、カマを手前に引くと、「ザクッ」。いい音がして、かることができた。カマはちょっとこわいけど、なんだか楽しくなって、たくさんザクザクした。収かくした稲は、まとめて干さなければいけない。稲はしっかり実っていたから、干すのは結構大変だった。
・川掃除をしたのですが、どんどん楽しくなってきて、最後は川遊びのようになってしまいました。気がつくと、自分や周りの友達全員が全身びしょびしょになっていて、「こういったこともたまにはいいな」と思いました。そして、全員全身ずぶ濡れになって笑学校に帰りました。

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≪スタディツアー6年生 南三陸 6A9/16~18 6B9/19~21
 南三陸のスタディツアーは天候に恵まれ、澄み切った青空と太陽の光を反射し輝く水面、深い緑に囲まれた日々となった。最初の訪問地である大川小学校。遺族でもある語り部さんは「ここ、今は何もないでしょう。でもね、震災前までは本当に普通の町だったんだ。」と写真を見せながら淡々と語ってくださった。美しい校舎、子どもたちが過ごす日常と何も変わらない学校生活の話、そして津波に遭遇するまでの51分間とその後の話を伺った。子どもたちの足でも5分程度の裏山に登り、「一度ここまで来た子もいたんだよ。ここまで来れば助かった。でも先生に戻されたんだ……。」と聞いた子どもたちは、「こんな短い距離なのに、何故……。」と口々に呟いていた。「救えた命、救いたかった命、救って欲しかった命。命をいろんな角度から捉える必要があると思う。」という言葉が、子どもたち一人ひとりの心に刺さったようだ。8年半前に大津波に襲われ、町・人・途切れる事のないと思っていた日常生活が突然なくなってしまった。同じ場所とは思えないほど美しい光景を見ながら、「命の尊さと儚さ」を感じ、自分たちの普段の生活を省みる機会になったようだ。
 「私は軽々しく『一生懸命』という言葉を使っていたけれど、命を懸けるのは想像できない程の思いが溢れていることだと感じた。これからは簡単に使えないと思った。」「自分の命は自分で守る。そのために、考える事と判断して行動する事が本当に大切だと思った。」といった感想が寄せられた。漁業・農業等の体験で出会った地元の方々は皆、優しい笑顔で接してくださった。「これからはもっと私も笑顔を大切にする。また南三陸に来たい。」子どもたちの心の中に、「ずっと忘れない」「忘れたくない」という思いが残る3日間となった。(6年 吉川)

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《第42回 私学水泳記録会≫
9月8日(日)に明星学苑総合体育館プールにて、第42回水泳記録会が行われました。都内の私立小学校13校が集まり、男女合わせて156名の児童が参加しました。本校からは選考会を経て、学校代表として4年生3名、5年生1名、6年生4名の計8名が出場。自己記録の更新を目指して一生懸命泳ぎました。ほとんどの選手は選考会や練習時よりも良いタイムを出すことができ、この結果を自信にしてほしいと思います。(体育科 草苅)

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≪東京手描友禅 ~4年~≫
「東京手描友禅」は、東京の新宿区や練馬区、中野区で作られている、伝統工芸品の一つです。絹の生地に施された粋な柄や東京らしいモダンなデザインは、下絵の段階から全て手描きで作られています。今回4年生は社会科の授業の一環として、東京手描友禅の体験学習をしました。伝統工芸士の先生方の修行についてのお話や、実際に使われている道具や作られた作品などもご紹介いただいた後に、一人一枚ずつ絹の布に「友禅さし」という染料を色さしする工程の体験です。いつか伝統工芸品を手に取ったり着物に袖を通したりするときに、この体験を思い出してもらえたらいいなと思っています。(4年 中村)
~日記より~
・DVDで見た、「下がき」がすごいとおもいます。筆なのにえんぴつみたいにスラスラかけていて、習字も苦手な私にはとてもできないことだと思いました。
・授業の最初に先生方の作品を見ました。着物を見て、私も大人になったらこんなきれいな着物を着てみたいなと思いました。
・お友だちの絵を見ていると、みんな色がちがって、この子の色はステキだな、といろいろな色を見られて、きれいな色合いが分かった気がします。


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《色鉛筆》
僕の生きる道
 元号が令和に変わる頃、様々なテレビ番組で「平成を代表する歌」が話題として取り上げられたが、これが「世界に1つだけの花」である事は、誰も異論をはさまないであろう。ただし、これが「僕の生きる道」というドラマの主題歌であった事は、意外に知られていない。
「僕の生きる道」は2003年放送の、草彅剛さんが演じる、ガンに侵された男性の余命1年間を描いた作品である。そして主人公は28歳のカトリック系私立高校理科教師なのである(ほぼその頃の私の境遇と一致)。もちろん完全感情移入で毎週感動し、ヒロインの矢田亜希子さんのファンになった事は言うまでもない。
ただ、主人公は合唱を通して生徒たちと心を通わせコンクールを目指すことになるのだが、見ていた当時の私は「そこは理科でしょ」と思っていた。理科教師なのだから。
今振り返ってみると、異なった視点を持っている。学問は人の可能性を広げ、人生を豊かなものにしてくれる。これは間違いない。しかし人の心を育てるのは音楽・絵画といった芸術の分野、スポーツの分野など趣味と呼ばれることだと思う。だからバランスよく様々な事を経験・吸収していく必要がある。そんなことを理科室の真下にある音楽室から聞こえてくる児童の歌声を聞きながら、ふと思うのである。 (大澤 知由)

2019/10/30

第249号 2019年9月4日

たいせつな「いま」を    教頭  吉田 太郎

 長かった夏休みが終わり、本日から新学期が始まります。皆さまはどんな夏を過ごされましたか。しばらくは、まだまだ暑い日が続きそうですが、秋はスポーツや勉強、芸術といった分野においてもじっくりと取り組むことができる良い季節です。芸術の秋にちなんで今号は美術のお話から一つ。
 この夏、東京ステーションギャラリーで行われた「メスキータ展」(6/29〜8/18)を鑑賞しました。まず、「メスキータって誰?」というのがこの展覧会のキャッチコピーでした。メスキータ(Samuel Jessurun de Mesquita1868~1944)とはポルトガル系ユダヤ人の画家、美術家で主に版画作品の製作や美術学校の講師として活躍した芸術家です。だまし絵で有名なM.Cエッシャーがメスキータから大きな影響を受けたということで脚光をあびることになったようです。
 今回の展覧会は日本初の回顧展であり、版画や油彩、水彩など約240点の作品を紹介するものでした。驚かされたのは、これらの作品は全て個人の収集家によるコレクションであるということです。第二次世界大戦の最中、ユダヤ人であったメスキータは1944年にナチスによって拘束され、アウシュビッツで処刑され最期を遂げています。アトリエに残された作品は、エッシャーら何人かの弟子たちによって、命がけで運び出され、保管され、こうして作品展が開催され日の目を見ることとなりました。

 メスキータの作品の最大の魅力は白と黒で表現される木版画です。初期の作品には自画像や息子ヤープを描くものが多いのですが、自身が年齢とともに老いていく、あるいは息子の成長を追いながら、その変化を作品として残していったものが数多く見られました。中でも印象的だったのは、1926年の「メメント・モリ」(頭蓋骨と自画像)という作品です。頭蓋骨とメスキータが向き合うように描かれた構図。「メメント・モリ(死を忘れるなかれ)」というテーマは、ヨーロッパでは古くから「死」を通して「生」を考え、よりよく生きようとすることにつながるもの、として好まれるモチーフですが、私はこの絵に描かれたメスキータの自画像が、生きようとすることを前向きに捉えるのではなく、死を受け入れ、諦めているようにも、達観しているようにも見える、そんな印象を受けました。まるで、アウシュビッツでの最期を予感するような、そんな哀しげな表情に映ったのでした。
 メスキータが生きた時代は二度の世界大戦の最中。常に死と隣り合わせだったことでしょう。ナチスの台頭、戦争の混乱の中でも表現することに妥協しない芸術家としての姿勢がエッシャーらに大きな影響を与え、現代のグラフィックアートにも通じる作品として評価されたのでしょう。

 「メメント・モリ」ラテン語で表される不思議な語感。「死を忘れるなかれ」という言葉。人生に最終到着駅があるからこそ、現在地の自分を改めて見つめることができる。少々、話が大げさになってしまいましたが、終わりがあるからこそ、「いま」のこの時が大切であるということを覚えたいと思います。親として子どもと関わることのできる「いま」。教師として子どもたちと学び合うことのできる「いま」。神さまに愛される存在として共に育まれる「いま」。芸術の秋の夜長にお子さんと「いま」について語り合ってみてはいかがでしょうか。

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≪オーストラリア国際交流プログラム2019≫
 8月24日~9月2日、今回で2回目となるオーストラリア・ニューサウスウェールズ州バリナでの国際交流プログラムが実施されました。主な目的は「異文化への理解を深めること」、「お互いの文化を尊重し合うよい友人関係を築くこと」です。6年生の希望者12名が参加して、10日間、EAC(Emmanuel Anglican College)での現地校体験、ホームステイ体験を行いました。6月中旬から始まった2019年度の経緯をご報告します。(杉本)

【事前学習】
 参加メンバーは、放課後を利用して3回の事前学習を実施しました。目的は、チームビルディング・プログラムの目的共有・生活のための会話学習・EACでのパフォーマンス準備です。また、滞在中2度ある日曜日には現地の礼拝と聖餐式に出席するため、事前体験として聖公会・聖オルバン教会(港区)での礼拝にご家族も一緒に参加していただきました。オーストラリアでの短い滞在をより有意義なものにするため、皆が積極的に課題に取り組み、自覚と期待を高めて出発に備えることができました。

【EACでの授業体験】
 滞在期間中の平日(月〜金)は、EACの子どもとして学校生活を送りました。12名の参加者達は、3・4人ずつに分かれて5年生と6年生のクラスに入り、スクールバディと一緒に授業に参加しました。算数やプログラミング、体育や宗教(Religion and Value Education)など、現地の児童と同じ時間割で一日の学校生活を送る体験をしました。授業によっては内容が難しく、戸惑うこともあったようですが「分からない単語を何度も丁寧に答えてくれて、自然に“Thank you”と何度も言っていました。」「言葉がわからなくてもやり取りで分かるんだ、と発見しました。」との感想の通り、コミュニケーションを通じて理解する面白さを知ることができました。小学生の同世代の子ども達らしく、学校生活が進むうちにみるみる距離を縮めて親しくなり、休み時間にスポーツを楽しんだりおしゃべりをしたり、現地の子と一緒になって、歩きながら丸リンゴをかじったり、芝生に座ってスナックを食べたり。あっという間にのびのびと居心地良さそうに過ごしている姿は、子どもの順応性の高さを改めて感じさせるものでした。
 最終日には、私たちとEACの小学生全員で礼拝を捧げました。お互いの学校での学びが神様に祝福されたものでありますようにと祈りを交わすことができ、素晴らしい時間を共有できました。クラスメイトとのお別れでは、たくさん写真を撮り、メールアドレスを交換し、最後は涙を浮かべてハグを交わし……。充実した学校生活を過ごすことができ、EACの子ども達、先生方、スタッフの皆様への感謝は尽きません。

【ホームステイ体験】
 バリナ滞在の8日間は、全てホストファミリーのお宅でのホームステイを経験しました。大らかで優しく、のどかな雰囲気の町に暮らしている皆さんは、どの方も本当に親切に私たちを受け入れてくださいました。放課後にビーチに出かけたり釣りをしたり、たくさんのお肉やソーセージを焼くBBQをいただいたりと、オーストラリアならではの暮らし方を楽しむことができたようです。ファミリーの子ども達とも仲良くなり、最終日には小さい妹にずっとしがみつかれてお別れに時間がかかっていたり、大きなマザーにぎゅーっとハグされたまま涙をこらえていたり。オーストラリアに「家族」ができたという大きな宝物をいただいて「帰りたくないな」という思いとともに帰国の飛行機に乗ることができました。
 10日間、日本の家族から離れてオーストラリアでの学校生活を送るという大きな挑戦が、今後誰かの役に立つための経験として生かされますように、また今回のプログラムを支えてくださった全ての方に神様のお恵みがありますようにとお祈りしています。

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≪子犬たちの旅立ち≫
6月に生まれた8頭のあかちゃん。今回で3度目の出産となりました。
子犬たちは箱に入ってすべてのクラスを周り、子どもたちと触れ合うことができました。一年生の生活科の授業では、お腹にいる時の超音波映像から、誕生後数週間の子犬たちの成長の様子を観察することができました。
 すくすく育った子犬たちはお盆休み明けの8月17日に無事に巣立って行きました。300g前後で生まれた赤ちゃんが2ヶ月で約5kg超と成長。子犬をしっかりと育てなければならない責任と日々の飼育の重労働から解放された安堵感で、クレアも私たちも寂しさを感じる余裕もありませんでした(笑)。ご協力いただいた皆様にこの場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。近い将来、クレアのあかちゃんたちが立派なアイメイト犬として利用者の方とともに子どもたちと再会できる日を楽しみにしています。(吉田)

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≪聖歌隊キャンプ報告 8/198/20
 「子どもたちがそばにまいりますので、一緒に歌を歌ったり、お話したりさせてください。」上川先生が言うと、時には手をたたいて一緒に口ずさみ、時には目をつぶってじっと聴いてくださっていたお年寄りのところに、聖歌隊の子どもたちが入っていきます。ここは群馬県榛名にある新生会。前日、軽井沢のみすず山荘に1泊し、どんな方々がいらっしゃるかな、私たちの歌を聴いてくださるかな、去年お会いした人にまた会えるかな……いろいろな思いを持って、歌と笑顔を届けに行きました。「こんにちは」一人ずつ同じ目線になるようにしゃがんで自己紹介をすると、それぞれのところで笑顔やおしゃべりがはずみ始めます。そして、手を握ったまま口をそろえて「ふるさと」を歌う時、新生会の方々も聖歌隊の子どもたちも一層表情がやさしく豊かになり、歌の力はすごい、人と人のふれあいの力はすばらしい、と感じました。
 孫のことを思い出してハグしてくれた、「がんばってね」とメモしてくれてうれしかった、去年と同じ人に会え、私のことを覚えていてくれた、おじいさんが何度もありがとうと言ってくれた……そんな思いを子どもたちにくださった新生会の方々から、たくさんの奇跡をいただいた聖歌隊キャンプでした。(渡辺)

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≪色鉛筆
 “3776”という数は、大きな数か小さな数か。以前の私なら、億や兆という位があるのだから、小さな数だと言っただろう。しかしこれが、標高なら話は別である。
 私はこの夏、日帰りで富士山に登頂した。予行演習と称して3つの山に登り、富士山登頂への準備は万端、のはずだった。しかし、現実は風速20m近い向かい風、靄がかかり5m先も見通せない視界、山頂まで続く砂利道に足をとられないよう進んだ。一歩一歩踏みしめる余裕などなく、何度も足を止めては、下山をしたら楽になるという誘惑が頭をよぎる。それでも日本の最高峰からの景色を目に焼き付けたいという意地で登りきった。山頂から見下ろす周辺の山々や河口湖、街の風景はミニチュアのようでかわいらしかった。空はいつもより近く、私が高所恐怖症でなかったらジャンプをして手が届くようなところに雲があった。道中挫けそうになる自分に勝ち、登りきったご褒美だと思った。
 日本の象徴でもある富士山は、私にとって自分自身を飛び越えるための跳び箱のようなものだった。私はこれからも山に登り続け、自分と向き合い続ける。(渡部 彰太)

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