新年おめでとうございます

校長 児玉 純

 2022年の女学院のクリスマスは、様々な制限はありましたが、以前のようなプログラムで行うことができました。たくさんの保護者の皆様にご来校いただき、共に讃美し、聖書を読み、同じ空間で礼拝できたことは、たいへん感謝なことでした。私にとっても全てが感動的で、忘れられないクリスマスになりました。
 さて、2023年がスタートしました。新年と聞くと、「今年はこんなことをがんばりたい。」「今年はこんな年にしたい。」など、何か気持ちも新しくなり、一年の目標や決意などを決める人が多いと思います。新しい決意というと私が思い起こすのは、お相撲さんが大関や横綱に昇進するときの口上です。聞き慣れない四字熟語が出てきて、どこでこんな言葉を知ったのだろうと、感心することがあります。朝青龍や鶴竜が横綱になったときは「一生懸命」でした。これは分かりやすいのですが、貴乃花は「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」、若乃花は「堅忍不抜(けんにんふばつ)」でした。これは少し分かりにくい。「不惜身命」は、「身命を惜しまず」と読むと分かりやすくなりますが、自らの体や命を省みない心構えや態度のことだそうです。また、「堅忍不抜」は、意思や計画がしっかりしていてぐらつかないことだそうです。横綱という立場の重さや、それを引き受ける力士の覚悟が伝わってきます。私たちの「新年の目標」は、これほどには重くはないと思いますが、その心や思いは見習うべきところがあるのではないでしょうか。
 11月の終わりから、6年生の理科の授業を担当させていただいています。管理職になってから、様々な理由で授業をもったことはありますが、正直久しぶりの本格授業という事でワクワクドキドキしています。「堅忍不抜」といきたいところですが、なかなか計画通りに進まず、毎時間反省ばかりです。6年生も、私と同じようにワクワクドキドキして理科の授業を待っていてくれることを願います。実際に授業をしたのはまだ数時間ですが、6年生とは全員面接も行ったので、ぐっと距離が近づいた感じがしてとても嬉しいです。
 立教女学院小学校の児童429名全員が、今年一年、神様に守られて健やかに成長できますようにお祈りします。今年もよろしくお願いいたします。

 

新しい年に向けて   ~チャプレンからのメッセージ~

 皆さんがこの記事を読まれるのは、教会の暦で「顕現日」と呼ばれる祝日(毎年1月6日)の直後のあたりではないでしょうか。巷の「クリスマス」は12月24日の夜で終わって、25日からはお正月モードに移ります。しかし教会のクリスマス・シーズンは顕現日まで続きます。
 街のクリスマス・ツリーが門松に取って代わられた後も、教会のクリスマス・ツリー、クリスマス・クリブと呼ばれるイエス様の降誕場面を現す置物、クリスマス・リース、アドヴェント・クランツは、顕現日までそのまま残されます。
 「顕現日」は教会の祝日の中で最も古いものの一つで、英語では ‘Epiphany(エピファニー)’ と呼ばれます。これは「現す」とか「示す」という意味のギリシア語、 ‘epiphanein’ から来ています。「顕現日はイエス・キリストの栄光を現す出来事をお祝いする日」と言うことができるわけですが、福音書と呼ばれる書物の中に描かれている「どの出来事がイエス様の栄光を最も現しているか」と質問されても、簡単には答えられません。
 顕現日の最も古い記録は2世紀前半のもので、バシリディアス派という「グノーシス系異端」とされるグループが、「イエス様の洗礼」を祝っていたことを記しています。実は「イエス様の降誕」のお祝いも、クリスマスとして12月25日に分離独立するまでは、「顕現日」にお祝いされる出来事の一つでした。その他にも、東方の博士たちがイエス様を訪ねて礼拝した出来事が祝われたり、5000人の給食の出来事が祝われたり、顕現日のお祝いの内容は地域ごとに、教会ごとに違っていました。
 年の初めに、このことを子どもたちに思い出してもらいたいと思います。それは、イエス様の栄光は家畜の餌箱の中に、家の中に、野原に、湖に浮かぶボートの上に現れるということです。イエス様の栄光は、人々が「凄い!大きい!荘厳!ゴージャス!」と言って目を向けるようなところには現れません。むしろ、日々の何気ない、「当たり前」の中に現れるのです。立教女学院小学校の子どもたちが、「当たり前」の中に現れるイエス様の栄光に気付き、日々の小さな出来事を通して与えられる神様の恵みに感謝しながら過ごす一年となりますように。