「あなたは大丈夫だよ。」って
「あなたは大丈夫だよ。」って 教頭 吉田 太郎
1983年、梅雨明けの京都盆地は記録的な猛暑、うだるような暑さでした。その夏、10歳、年の離れた妹が生まれました。それまで一人っ子だった私にとって、彼女の誕生は何よりも嬉しい出来事でした。
1986年、マルコス政権が崩壊し、イメルダ夫人とともにマラカニアン宮殿から脱出。コラソン・アキノ氏が新大統領となったフィリピン革命。テレビでは毎晩のように黄色いTシャツ姿の群衆のピープルパワーが盛んに報道されていました。
そんなある夜、妹が高熱を出し、それが何日も続いたため、緊急入院となりました。まだ2歳半の可愛い盛りでした。病院へ駆けつけるも小学6年生だった私は会わせてもらえず、深刻な表情で病室から出てきた父親に妹の病状を尋ねます。「もうアカン、死ぬかもしれへん……。」今思えば、親として小学生の兄へかける言葉としては、なんと配慮に欠いた返答だろうと思います。もうちょっとオブラートに包んでやってくれよって。しかし、あの日の父親は最愛の娘を失うかもしれないというショックで、息子への配慮どころではなかったのだろうと理解できます。
数日後、地域の病院では手に負えず、救急車で京都市内の大学病院へと移されていきました。闘病生活の始まりです。共働きの両親、父親は当時単身赴任中ということもあり、母親は仕事が終わるとすぐに電車とバスを乗り継いで市内の病院へ行き、深夜に帰宅するという毎日が続きました。私たち家族は大切なもの、最愛のものが、ある日突然奪われるかもしれない恐怖に苛まれます。私は一人で過ごすことが多くなり、気がつけば不安から逃れるために、誰もいないひんやりとした自宅で、階段に掛けられていた十字架に跪いて、祈るようになりました。「神様、僕はもう12年生きたので、どうか妹に僕の残りの命をあげてください。」と。本気でそう祈りました。数カ月後、妹の病状が少し安定したということで、私も病院へお見舞いに。京都御所と鴨川に挟まれた府立病院は大きく、ここだったら助かるんじゃないかと安堵したのを覚えています。子ども病棟に進むと、免疫力の低下した患者さんに感染症を持ち込まないように、「ここから先は、お前は入れないので、ここで待っていなさい。」と告げられ、両親は入り口で不織布の白衣に着替え、病室へと入っていきます。数分後、点滴に繋がれ、髪の毛がすっかりなくなったパジャマ姿の妹がストレッチャーに乗せられて廊下に出てきました。ガラス越しの対面。疲れさせてはいけないので、ほんの数分間。病室へ戻る後ろ姿に涙が止まりませんでした。
中学生の多感な時期、両親には負担をかけたくないし、周囲には同情されたくなかったので学校では弱音を吐けず、必要以上に明るく振る舞っていました。しかし、一人になると暗闇に落ちていくような感覚に恐れ、怯える日々。そんな私の不安な気持ちに寄り添い、「あなたは大丈夫だよ。」と、支えてくれたのは祈りの時間であり、聖書であり、教会の牧師さんの存在でした。
パンデミック。コロナ禍の世界の真っ只中で、私たちは目に見えない様々なストレスや悩み、苦しみに直面しています。それは闘病中の人や亡くなってしまった人の苦しみとは比べものにはならないかもしれないけれど、子どもたち一人ひとりのその小さな痛みや傷に対して、私たち大人はいつも以上に注意深く、目を向けなければと思います。そして、弱くされた人や不安を抱える小さな声に「あなたは大丈夫だよ。」「十分やっているよ。」って言ってあげたい。(言ってほしい。)その必要は大人も子どもも、きっと同じだと思うのです。
前述の妹もこの原稿を書いている今週、38歳の誕生日を迎えました。離れているので、毎年メールで「おめでとう。」と一言、短いメッセージを送るだけですが、彼女には今でも「神さまに向き合う時」を与えてくれたことに感謝しています。
5・6年生 インターネット教育授業
6月7日、昨年度と同じくニフティ株式会社の方を講師にお招きした出張授業「インターネット教育授業」が行われ、5年生と6年生が参加しました。前回は6年生(現 中学1年生)のみが参加したこの出張授業ですが、高学年の約半数以上の児童がスマートフォンなどの自分の端末を所持しているという実態をふまえ、今年度は対象を2学年に広げて行いました。授業では、SNSでメッセージをやりとりする際の注意点や個人情報の扱い方など、児童にとって身近な事例を中心に、インターネット利用時のルールを確認しました。夏休みを迎える前に、ぜひご家庭においてもルール確認などの話し合いを行っていただければと思います。
児童の感想より
◎ もしかしたら、自分も相手が傷つくようなメールを送ってしまっているかもしれないから、気をつけようと思った。
◎ 自分で判断せずに、相談することが大切だと思った。
◎ 動画を見て個人情報流出のおそろしさを感じました。インターネットはうまく使えば便利だけれど正しく使わなければ危ない物になってしまうので、しっかり今回学んだことを活かして使いたいと思いました。
◎ まだスマホを持っていないのであまりよく分からないけれど、スマホをもらった時は、教えてもらった 五つのルールをしっかり守って、安全第一で、使いたいと思いました。インターネットは楽しくもあるしこわくもあるので、気をつけて使いたいです。
ニフティ出張授業 まとめ「インターネットを楽しく安全に使うために必要な五つの約束」
・自分の個人情報を書き込まない
・人を傷つけるような言葉を書かない
・迷った時や困った時はおうちの人や先生に相談する
・おうちの人と約束事を決める
・他の人の作品を勝手にコピーしない
3年生社会科 三鷹台探検
授業の最初に「ちず あそび」(著:吉村証子氏)という本を読みます。「ちず あそび」は、三鷹台周辺を題材にした地図に関する絵本で、方位や地図記号、路線図から地図の良さなど、色々なことを教えてくれます。この本は40年以上前に書かれた絵本なので、読んでいくうちに子どもたちは、「あれ……三鷹台や吉祥寺ってこんな町だっけ?」とズレを感じます。そして、この本がとても昔に書かれた本だと知ると、「じゃあ今の町の様子を知りたい!」という探求的な思いが自然と湧いてきます。こうなれば、あとは子どもたちが自分から動き出します。「今の学校の周りの地図を作ってみたい!」「そのためには方位について知らないと……」「地図記号も覚えないとね」こんな風に活動が進んでいきました。
いよいよ「三鷹台探検」当日、子どもたちは昔の地図と今の町の様子を比べる中で、色々なことを発見します。新しいお店ができていたり、逆に40年前にあった八百屋さんや交番や郵便局が今でもあったり、意外な場所に竹林や果物畑があったり……。このような学びは、一見すると三鷹台周辺について詳しくなるだけのように感じますが、実はそうではありません。「普段意識せずに過ごしていた町に、たくさんの発見があった」という新しい気づきが、次は「自分の住んでいる町はどうだろう」というように子どもたちの意識を広げてくれます。社会に向けたアンテナが、一つ張られたと言えるでしょう。
こうして始まった社会科の授業は、学年が上がるにつれて、更に大きな社会に、あるいは過去の歴史に、産業に、経済に、政治に発展していきます。この三鷹台探検が、立教女学院小学校の子どもたちにとって、社会の「はじめの一歩」になっているのです。
児童の日記より
◎三たか台たんけんが終わって気づいたことは、畑がとても多かったことです。東京にも、意外と畑があるんだなあと思いました。40年前の三たか台と、今はぜんぜんちがっていました。
◎わたしは社会科見学の間、となりで歩いていた友達とすごく話がはずみました。そして、二人の町のきょう通点を見つけることもできました。こういうことが「社会」のべん強なんじゃないかと思います。