野の花、空の鳥

野の花、空の鳥   教頭  吉田 太郎

 観測史上最高とか、10年に一度の異常気象などと言われる猛暑、酷暑となった2020年の夏は「特別な夏」となりました。3月からの一斉休校、非常事態宣言と、新型コロナウィルスに世界中が翻弄されるなか「医療」と「経済」の狭間で「教育」が犠牲になった数ヶ月間だったとも言えます。子どもたちの学びを止めない。子どもたちを感染の危険から守らなければいけない。休校期間中にも私学として保護者の期待に応えなければならない。働く教職員のメンタルヘルスも含めた健康も守らなければならない。様々な課題に忙殺される特別な1学期でした。
 子どもたちから頂いた暑中見舞いの葉書には「1学期はコロナで学校へ行く機会が少なかったので残念でした。」「2学期はもっと学校へ行きたいです。」という切実なメッセージばかり。オンライン授業で一生懸命に画面に向かって取り組んでいた子どもたちのことを思い浮かべながら、とても申し訳ない気持ちになりました。と、同時に子どもたちにとって、社会にとって学校という場所はとても大切な場所だということを痛切に考えさせられました。もちろん大人たちの社会では業種によってはオフィスに出社することなく在宅オンラインでほとんどの業務を行うことができるということもあるでしょう。満員電車の通勤から解放され、働き過ぎの日本人にとっては合理的な働き方改革が前進しているとも言えます。立教女学院小学校では、保護者の皆さまのご理解やご協力によって比較的早く、そしてスムーズなオンライン授業実施に成功しました。しかし、小学校の教育という分野についてはオンラインでの学びには限界があることも認めざるを得ません。子どもたちにとって必要な学びの中で「他者と協力、協働していく力」「他者と対話し共感し合う力」というものについては、やはり実際に登校して同年代の友達と一緒にしか育まれない(育むことが難しい)ものがあると思っています。
 コロナ禍はしばらく続くでしょう。その大きな制約の中で、いかにして子どもたちに必要な教育、必要な水準を維持しながら提供し続けることができるか、2学期以降の重要な課題であると認識しています。正解が見えない試行錯誤の中で私たちが決してぶれることなく、何を大切にしていけば良いのか、やはりその答えを私はイエスの御言葉の中に探します。

『空の鳥をよく見なさい。種を蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。』(マタイ6章25〜34節)

 野の花、空の鳥。すべてのものは神さまによって創られた。子どもたちの大切な「いのち」を守ること。その「いのち」が輝くように芸術や文学といった学び、すべての時間割にある教科の指導を創り出していく。学校が再開しても第二波によって○○アラート、ロックダウン、ステップの後退ということが発生するかもしれません。いつ、自分も含めて大切な人たちが感染して日常が奪われてしまうか分かりません。思い悩んでばかりいても仕方がありません。当たり前のように過ごしてきた時間がいかに貴重だったのか、改めて考えながら、「分断ではなく連帯」「すべてのいのちを大切にする」ということを忘れずに、2学期の学校再開を慎重に進めていきたいと思います。引き続きご協力をお願いいたします。